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東京地方裁判所 昭和34年(合わ)64号 判決

被告人 大塚ミサヲ

大一〇・八・二四生 青果物商手伝

主文

被告人を懲役三年に処する。

但し、本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

右猶予の期間中被告人を保護観察に付する。

押収に係るサイダー若干入サイダー瓶一本(昭和三四年証第四一二号の一)を没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、父浜田小四郎が事業に失敗して出奔し夫婦別れをした後母キヱの長女として生れ、新潟県北蒲原郡笹岡村大字上山屋に住む母方の祖父島川勇次郎夫妻等に育てられ、同村笹岡尋常高等小学校高等科二年を卒業後、伯母渡辺よりが経営していた東京都品川区南品川所在の食堂で働いているうち、当時曳き八百屋をしていて右食堂に出入りしていた大塚繁蔵と恋仲になり、昭和十六年四月頃両親(母キヱはその後右浜田小四郎に再会して結婚した。)の反対をおし切つて右繁蔵と結婚し、二人の間に長女照子(当十七年)を頭に四男四女(三男三女生存)を儲けた。

第一  新婚一年位の間は夫婦で曳き八百屋をして円満、平穏な新婚生活を送つたが、照子を懐姙した頃から繁蔵は持前の短気、粗暴な性格を顕わにし気に入らないとやたらに叱りつけたり、殴る蹴る等の暴行を加えるようになつて夫婦仲に風波が立つようになり、両親から別れて帰るようにと言われたが、自分の生立を考えて生れて来る子供のことに思いを致して我慢をしていた。そのうちに繁蔵は昭和十九年二月召集され、昭和二十一年六月頃復員したのであるが、復員後しばらくは家業である青果商に精を出した結果昭和二十二年二月頃同都品川区南品川五丁目四百七十八番地の現住所に青果商の店舖を構えるほどに繁昌するに至り、幸福な家庭生活が訪れたかに見えたのも束の間、経済的に余裕が出来るとともに繁蔵は昭和二十四年春頃から女遊びをはじめ、その頃築地の青果問屋の娘石井清子を妾としてアパートに囲い、昭和二十六年十一月頃には前記青果商の店舖を二分してその半分でパチンコ店を開業して清子にその経営をさせたため、近隣の者から「犬パチンコ店」、「動物パチンコ店」等と悪口を言われたこともあつたが、清子は繁蔵との間に一男一女を挙げた後昭和二十七年夏頃別れ、その際被告人は繁蔵のために右女児の処理を自ら引受けて金と着物をつけて他へ養子にやるという努力までしたのに、繁蔵は三、四ヶ月後またも静岡県伊東温泉で娼婦奉公をしていた今井いく江を妾としてアパートに囲い、同女との間にも一男を挙げるに至つた。繁蔵はその間殆んど妾宅に寝泊りして被告人やその子供等に対しては思いやりの愛情はその片鱗さえも示すことがなかつたばかりでなく、かえつて再び前記短気、粗暴の性格を顕わにし気に入らないことがあるとやたらに被告人、子供および店員を叱りつけ、また殴る蹴る等の暴挙に出るばかりでなく、自分は築地の青果市場に仕入れに出かける位のもので、店舖における商は専ら被告人と店員にやらせたうえ、売れのこり品は夜おそくまで被告人や店員等にこれを曳き売りさせて、売りのこすと怒鳴りつけ、また被告人を産後いくばくも経たないうちから働かせたり、風邪引き、歯痛の際にも医者にかけずに無理に働らかせて、その酷使振りは近隣の者も繁蔵を悪く言い、被告人に同情を寄せるほどであつた。このように被告人は繁蔵から暴行を加えられ、酷使されたり、また繁蔵の女狂いに対する嫉妬からの痴話喧嘩等から屡々家出をし、繁蔵との夫婦関係の継続を断念しようとしたことも度々あつて、昭和二十五年春頃東京家庭裁判所に離婚の調停申立てをしたこともあつたが、その都度繁蔵から今度こそは心を入れかえるから帰つてくれと言われて、最初の頃はその言葉に期待し、他面子供等への愛情にひかされて帰宅し、また右離婚の調停申立を取下げたものの、被告人の期待はいつも裏切られ、そのうちには子供等に対する愛情故のみから我慢に我慢を重ね、耐えに耐えて来たのである。

被告人は繁蔵の前記のような女狂いに対し嫉妬の余り繁蔵を強く憎むとともに、前記のような繁蔵の被告人に対する理不尽な酷使と暴行に対し、また繁蔵が妾を囲い、妾のためには温泉に連れていつたりして金をおしみなく使いながら、自分に対しては思いやりがなく、金の費消もこれを締めて他から不義理な借金をしなければならないような状態に置き、妾の子供は可愛いがりながら、自分の子供に対しては少しも気を配つてくれず、気に入らないと叱責し、暴行を加え、長男淳一が高等学校への進学を希求しているのにそれを峻拒していたこと等について痛く憤り、子供等、店員および近隣の者も右のような事情から繁蔵を強く憎んでいたのであるが、昭和三十三年十一月初頃被告人は浅はかにも繁蔵に対する右のような欝憤をはらし、また右のような苦しみの境界から脱して自身および子供等の平穏、幸福な生活を切り開くためには繁蔵を殺害するに如かずと思い込むようになり、近隣に住み親しく交つて被告人の右事情を熟知していた宇佐美邦子に対し繁蔵を毒殺するために使用するのであるとその情を明かして青酸カリの入手交付方を執拗に懇請し、また店員石村朋三および近隣の不良青年荒居健次にその情を打ち明け報酬数万円を提供して繁蔵を殺すことを依頼する等して繁蔵殺害の機会を窺つているうち、昭和三十四年一月十一日頃繁蔵が女を連れて伊東温泉に遊びに出かけた留守中、繁蔵の平素の仕打を深く恨んでいた店員島村侑待(当十七年)もまた繁蔵を殺害してもよいと考えていることを知るや、同人に対し繁蔵を殺害し、同人の単独犯行として処罰を受けた暁には金五十万円と家屋とを提供すると言つて繁蔵殺害を慫慂して、同人と繁蔵殺害を共謀のうえ、殺害の方法として侑待との間に、先づ侑待においてバリ(釘抜)で殴つたうえ荒繩をもつて絞め殺すことにしたが果さず、次に侑待において庖丁で刺し殺すことにしたが、それも果すことができずにいたのであるが、同年二月六日かねて頼んでおいた宇佐美邦子から青酸カリ若干を入手するに及び、右青酸カリを平素繁蔵が好むサイダーまたはジユースに混入して同人に飲ませて同人を殺害しようと企て、同日午後十一時頃前記自宅店舖内において、侑待とともに侑待に買わせたサイダー瓶(昭和三四年証第四一二号の一)に右青酸カリのうち若干を混入したうえ侑待をして右サイダー瓶およびコツプ一個を深夜帰宅する繁蔵の目につき易い同店舖内部屋上り口附近の電気洗濯機上に置いたが、繁蔵がこれを発見飲用しなかつたので、再び翌七日午後十一時頃右店内において侑待とともに侑待に買わせたジユース瓶(昭和三四年証第五〇〇号の四)に前記青酸カリのうち若干を混入したうえ、侑待をして前記青酸カリ混入のサイダー瓶およびさくら餠数個とともに深夜帰宅する繁蔵の目につき易い前記店舖内部屋上り口附近の野菜台上に置いたところ、翌八日午前三時頃帰宅した繁蔵においてこれを発見して手に取り上げたが、偶々同人において右ジユースの色合に不審を懐き飲用しなかつたため右殺害の目的を遂げず、

第二  同八日午前七時頃右青酸カリ混入のサイダー瓶およびジユース瓶各一本を右野菜台上から他の場所に移動するに際し、かかる場合には右のような劇毒物については少くとも他の家族等が発見して飲用しないように家族等から容易に発見されないような場所にそれを隠す等周到細心の措置をとり、事故の発生を防止すべき注意義務があつたにも拘らず、これを怠り、容易に子供等の眼にさえもつき易い同店舖内の部屋上り口附近の前記電気洗濯機横の土間上に右サイダー瓶およびジユース瓶を放置するという重大なる過失により、翌九日午後八時頃同所において被告人の四女登美子(当七年)において右青酸カリ混入のサイダー瓶を発見してこれを飲下し、因つて同日午後十時二十分頃同区南品川一丁目五番地千葉病院において青酸塩中毒のため死亡するに至らしめ

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人の判示第一の所為は刑法第二百三条、第百九十九条、第六十条に、判示第二の所為は同法第二百十一条後段、罰金等臨時措置法第二条、第三条に各該当するから、所定刑中判示第一の殺人未遂罪については有期懲役刑を、判示第二の重過失致死罪については禁錮刑を各選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により重い判示第一の殺人未遂罪の刑に同法第四十七条但書の制限に従つて併合罪の加重をした刑期範囲内で、被告人を懲役三年に処し、但し、情状刑の執行を猶予するを相当と認め同法第二十五条第一項により本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、同法第二十五条ノ二第一項前段により右猶予の期間中被告人を保護観察に付し、押収に係るサイダー若干入サイダー瓶一本(昭和三四年証第四一二号の一)は判示第一又は第二の犯行に供せんとした物で被告人以外の者に属さないから、同法第十九条第一項第二号、第二項によりこれを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に則り被告人に全部これを負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊達秋雄 清水春三 松本一郎)

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